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泥中から出でて 蓮華は花清ら
睡蓮は、夏に咲く花です。開花時期は7月半ばから8月半ばということです。皆さんの中にもこの夏、どこかでご覧になったかたもいらっしゃるかもしれません。
私は、残念ながら今年は見ることができませんでしたが、思い出に残っているのは、福島県いわき市の白水阿弥陀堂にある池の睡蓮です。震災前のことでしたが、大変見事でした。ここのお堂は国宝にもなっていますので、近くに行くことがあったらぜひ行ってみてください。
さて、蓮の花は、仏教にはとても縁の深い花です。この本堂の阿弥陀様は蓮の花の上に座っていらっしゃいますし、前机の左右には大きな蓮の常華が飾られています。ご家庭の仏壇の阿弥陀様や、お位牌も蓮の花に乗っています。
極楽浄土の池にも蓮の花が咲いており、極楽往生をその蓮の花の上に生まれるとたとえます。
浄土宗で大切にしている「無量寿経」というお経には、「もし念仏するものは、まさに知るべし、この人はすなわちこれ人中の分陀利華(ふんだりけ)なり」とありますが「分陀利華」とは色々な蓮華の中でも最も尊いとされる白蓮華(びゃくれんげ)のことです。
白蓮華は、真っ黒な泥の中から茎を伸ばして、水上に美しい花を咲かせます。これを人の世にたとえますと、泥は「むさぼり、いかり、おろかさ」の煩悩にまみれた人間界であり、白蓮華はその薄汚れた真っ暗な世界の中にあって、念仏を称えて清らかに生きる人を表しています。
法然上人は「ひとこえも、南無阿弥陀仏という人の、蓮(はちす)の上にのぼらぬはなし」とうたっておられます。
これは「一回でも、南無阿弥陀仏と称えた人のなかで、極楽浄土の蓮華の上に生まれない人はいないのです」という意味です。
私たちは、煩悩の泥にまみれ、わかっていても日々罪を作りながら生きている凡夫です。しかし、阿弥陀様は、そのような私たちでも阿弥陀様のお誓いを信じて、お念仏を称えて暮らしていたならば、命終の時には、大きな慈悲のみ力をもって、白蓮華の如く清らかな身になり極楽浄土に生まれさせてくださるのです。