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幸せは ささやかなるが極上
12月8日はお釈迦様のお悟りを開かれたお祝い、成道会です。
先日は、幼稚園児が本堂に上がって、皆でお祝いをいたしました。
さて、お釈迦様のお弟子にシュローナという人がいました。シュローナの家は大金持ちだったので、子どもの頃からどこに行くのにも歩いたことがありません。いつも御神輿のような台に乗って出かけるので、足が弱くなってしまいました。でも、お釈迦様のお弟子さんは、托鉢という修行で沢山歩かなければなりません。シュローナは毎日足の裏から血を流して頑張りました。でもどんなに一生懸命頑張っても、悟りを開くことができずお釈迦様のようなりっぱな人に近づいていきません。
シュローナは、いくらがんばってもだめなんだと思い、お釈迦様に修行をやめて普通の暮らしに戻りたいと言いました。お釈迦様はシュローナに言いました。
「シュローナよそなたは、琵琶を弾いたことがあるだろう」
「はいお釈迦様」
「琵琶を弾く時は糸がゆるんでいるといい音が出ない。でも、糸を強くしめすぎるときれてしまう。そなたは力を入れすぎているのだよ」
シュローナは「わかりました」と言ってまた修行を始めましたが。今度は、足から血が出るほど頑張ることはせず、そのうち悟りをひらいてりっぱな人になったそうです。
これは仏教で「中道」ということを説明しているお話です。
「いい按配」という言葉があります。お風呂に入るとき、熱いでもない、ぬるいでもないちょうど良い温度があります。こういう「いい按配」のお風呂に入ると最高にいいきもちです。お酒の燗も同じですね。
なにをするのにも、一生懸命頑張るのはいいことですが、やりすぎて病気になったり、けがをしてはなんにもなりません。
一度に結果を出すのではなく、怠けることなくコツコツと積み重ねることが大切なのです。勉強でも運動でも、どんなことにも言えることです。
ひとの「幸せ」も、今の状態をよく考えてみれば「まあまあ幸せだな」と思えるとすれば、それはもしかしたらとても幸せなのかもしれません。
がむしゃらに幸福を追求することは、他人を押しのけ、自分や自分の家族だけ良ければ良いという独りよがりにつながる事もあり危険なことではないでしょうか。