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ひとすじに打ち込む そこに道がひらける
先日、ノーベル物理学賞の発表があって、日本人3人が受賞されることになりました。青色発光ダイオードの発明に対する受賞です。
ところで、皆さんは発光ダイオード、LEDとも言いますが、もちろん知っていますよね。
最近、消費電力が少なく長持ちするので、電球や蛍光灯の代わりに使われるようになってきました。この本堂の廊下の照明はLEDですが、白い光は、赤と緑と青のLEDの組み合わせでできるのだそうです。
その中の一人、赤崎教授という方は、1989年に世界で初めて青色発光ダイオードを発明しましたが、そのためには20年も研究したそうです。そして今回の受賞まで25年ですから大変な時間がかかっています。
また、赤崎教授は「誰もやったことがないというのは、できるか分からないということ。できることをやるのとは違う。長い間孤独に耐える決意が必要だ」と言っています。他の多くの研究者があきらめていく中、できるまでやり通すという気持ちは並大抵のことではないと思います。すべての人々に役に立つ発明という目標を見失うことなく、そして、自分を信じることが出来なければできないことではないでしょうか。またこれからの人には、「はやりを気にせず、自分のやりたいことをするのが一番。好きなことなら結果が出なくても続けることができる」という言葉を贈っていて、少々ほっとしました。
仏教を開かれたお釈迦様は、恵まれた身分を捨て、誰もが救われる道を求めて6年間の修行の後、お悟りを開かれました。体はやせ細り骨と皮のようになるまでの苦しい修行だったのですが、苦行からは悟りは開けないということに気が付いたといいます。しかし、その6年間が無駄だったのではなく、長い思索の中から尊い教えが導かれたと考えるべきでしょう。
お念仏の元祖、法然上人も一切経などの膨大な教典や書物を何度も読んで、考え抜いた末に「お念仏」を選び取り、どんな人でも分け隔て無く救われる道を開かれました。
お釈迦様も法然上人も「万人救済」という崇高な目標を見失うこと無く、強い心を持ち続けることができたから成し遂げることができたのでしょう。
私たちは、法然上人の御遺訓「一枚起請文」に「ただ一向に念仏すべし」とあるように、他のことに惑わされることなく、阿弥陀仏の大慈悲とお救いを信じ、すべてまかせきる気持ちをもって、お念仏の生活をすることが大切です。