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浅薄な人々は 幸運と境遇とを信じ 心慮ある人々は 原因と結果とを信じる
-エマーソン-
2月15日は、お釈迦様の命日である涅槃会です。お釈迦様は今から2500年ほど前にインド(現在はネパール領)のシャカ族の王子に生まれ、29歳で城を出て出家し、35歳で悟りを開かれました(成道)、その後教団を率いその教えを広め、80歳にクシナーラという所で入滅されたのです(涅槃)
お釈迦様の教えには「縁起」というものがあります。
それは、「此(煩悩)があれば彼(苦)があり、此(煩悩)がなければ彼(苦)がない、此(煩悩)が生ずれば彼(苦)が生じ、此(煩悩)が滅すれば彼(苦)が滅す」ということで、「此縁性縁起」(しえんしょうえんぎ)といいます。
「結果には必ず原因がある」あるいは「原因があって結果が生じる」ということになるでしょうか。あたりまえのことのようですが、お釈迦様の教えの基本的ところです。
私たちは、とかく物事がうまくいった時や、うまくいかなかった時に運が良かったとか、運が悪かったと言って片付けてしまいがちですが、「縁起」という考えで説明すれば、すべて原因があるということになるのです。
ロシアのソチで冬季オリンピックが開催されました。スノーボードのハーフパイプで日本人の15歳、平野歩夢選手が銀メダルに輝きました、そのインタビューで「人には負けない練習量をこなしてきた」と言っていましたが、才能という原因と、熱心な親や指導者の存在という原因、そしてなにより本人の努力による沢山の練習という原因があって実現した銀メダルといえるでしょう。しかし、そのうちの1つでも欠けたらうまくいかなかったに違いありません。ジャンプの高梨沙羅選手はメダルの期待が高かったのですが4位でした。周囲の期待が高く、騒がれすぎて緊張したことや、本調子ではなかったことが大きかったようですが、それだけではなく、飛ぶ順番の時不利な追い風だったそうです。これは悪い原因が重なったという事でしょう。運が悪かったといえばそうですが、どうしても「運」という言葉は言い訳や慰めのニュアンスも感じられます。スポーツや勝負事では、「運も実力のうち」とも言われますが、多少コンデションが悪くても、勝てる人はそれに負けない程の実力や精神力があるのでしょう。
また、もし結果が良くなくても自分で納得できるまで練習し、自分の今持てる力を出し切れれば満足でしょう。
今月のことばは、エマーソンという人の言葉ですが、浅はかな人は、うまくいかなかった時に運や境遇のせいにするが、考え深い人は、謙虚にその原因をよく考え、なぜそのような結果になったのかを大切にし、次はうまくいくよう努力をするものです。