|
仏さまが 知って下さっていたら よいではないか
先日、平成9年のお十夜法要の録音を聞きました。法要終了後に前住職が法話をしたのですが、
その中で「阿弥陀様が、私たちの称えた念仏の回数をちゃんと数えていてくれている」と言っていたのが、
耳に残りました。
私たちがしていることは、阿弥陀様がいつも見ていてくれているのだから、なんとありがたいことでしょう。
でも、身が引き締まるような気がいたします。
なぜかというと、人間であるから完全な人はいないのです。いつも良いことばかりをしているわけでは
ありません。どんな善人でも、時には、自分が気が付かなくても、良くないことをしたり考えてしまうことが
あると思います。
むしろ我々凡夫は、自らを振り返ってみると、反省すべきことのほうが圧倒的に多くて、恐ろしくなってきて
しまうかもしれません。
でも心配はいりません。念仏を称えるということは、それ自体が、至らない我が身を振り返って、愚かな
自分に気づき、その上で阿弥陀様にすべてお任せする行為だからです。
その時、阿弥陀様は全てをお許し下さり、大きなお慈悲のふところのなかに私たちをつつんで下さると
思います。
みほとけの
み名を称うる
わが声は
わが声ながら
尊かりけり