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当たり前のことを 日々コツコツと 当たり前に やっていく
これは、以前幼稚園の子ども達にした話ですが、お釈迦様のお弟子の中に
シュリハンドクという方がいたそうです。この方はたいそう物忘れが激しくて、
なんでもすぐに忘れてしまいます。用を言いつけられてどこかへ出かけて
いったのはいいが、何の用だか思い出せない。それどころか、自分の名前も
忘れてしまう始末で、仕方がないので背中に名札をつけて歩いていたといいます。
ついに皆にあきれられて修行者仲間から追い出されそうになってしまいました。
それを見ていたお釈迦様が見かねまして、「シュリハンドクよ、あなたはむずかしい
ことはしなくてよろしい。その代わり、この寺がいつもきれいになっているように
お掃除をしなさい。」といいいつけました。そうしたところ、シュリハンドクは、
毎日毎日、来る日も来る日もお掃除を続けました。そのお陰でお寺の中は
いつもピカピカになっていたといいます。お掃除ばかり毎日やり続けるなんて
なかなかできることではありません。そのうち、まわりの仲間もシュリハンドクは
偉いということになって、尊敬されるようになったそうです。我慢することは仏教語では
「忍辱」という1つの修行です。
私もけっしてお掃除が好きではありませんけれども、お掃除をしたあとは何か
さっぱりしたいい気持ちになるものです。お掃除をすることは心の中もきれいにする
効果があると思います。
人の心の中には知らず知らずのうちに汚れがたまってしまいます。それは煩悩
というもので、「むさぼり、いかり、おろかさ」が心の中を支配してしまうと、
情けない生き方しかできません。それをいかにお掃除するかは。幸せなまいにちを送り、
よりよい生き方をする為には大切なことだとおもいます。心のお掃除も大切です。
当たり前の毎日ほど有り難いものはありません。わたしたちは、東日本大震災の時、
そのことを痛感いたしました。被災地の方々は突然の地震や津波で一瞬にして全てを
失いました。命を落とした方々も沢山います。
しかし、あれからしばらく経って、もう忘れ初めています。たいていの人は、毎日毎日の
生活が、同じようなことのくりかえしで、いやになってしまうことがあると思います。
まったくぜいたくなことです。当たり前のような仕事や日常を続けることは忍耐のいること
ですが、それが出来ることを感謝して暮らしたいものです。