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すてきれぬ 荷物の重き まえうしろ
山頭火は、明治から昭和初期にかけて生きた、日本の俳人です。この方の俳句は、自由律といって、いわゆる5,7,5の俳句ではなく、季語は無くても良く自由な形式のものです。
ー 山頭火の句 ー
分け入っても分け入っても青い山
うしろ姿のしぐれてゆくか
けふはけふのみちのたんぽぽさいた
ながい毛がしらが
炎天レールまっすぐ
鴉ないてわたしも一人
てふてふ うらから おもてへ ひらひら
死んでしまへば 雑草雨ふる
子供でも簡単に作れそうな句のようにも思う方もいると思いますが、なかなかできない作品だと思います。また、人となりを知ると、人間味があふれていて親しみがわいてきます。
山頭火は、本名を種田正一といい山口県の裕福な家庭に生まれました。学業優秀で、早稲田大学文学科に入学したが神経衰弱のため退学し、帰郷。結婚して子供もできたが、実家の種田家はその後没落してしまいました。また、10歳の時に母親が自殺し、後に弟がやはり自殺するなど、不幸もあり、徐々に家庭を顧みなくなりアルコール中毒になってしまいます。泥酔しての失敗も多く、ついに妻からも離縁されてしまいます。その後、縁あって出家し、托鉢をしながら俳句を極めるため徒歩での旅を続けました。
山頭火の昭和5年11月の日記に「荷物の重さ、いいかえれば執着の重さを感じる、荷物は少なくなってゆかなければならないのに、だんだん多くなってくる、捨てるよりも拾うからである」とあります。
山頭火に関する著書が多い村上 護さんの本には「山頭火の境涯は、捨てて捨てて、どこまで捨てられるかを試すような生き方であった。時に命まで捨てようとしたがどうしても捨てきれないで最後まで残ったのが俳句ではなかったか。」とあります。
ここで山頭火が捨てようとしていた物は何なのか。持ち物は、着物、鉄鉢(てっぱち)と編み笠と杖ぐらいのもので、托鉢でもらったわずかなお金は宿代や大好きな酒代にあっという間に消えていきました。無一物の彼が捨てようとしていたのは、「執着」だという。それは、母親の自殺に始まる不幸な出来事の数々、あるいは、自らの至らなさによる失敗の数々と悔恨の思い、失敗の元である酒を断てない情けなさ、そういったもやもやしたものを捨て去りたいができないというやるせなさであろうか。
私も自分のことを考えたと時、諸々の欲望、増え続ける持ち物、過去のいやな出来事の数々、自らの至らなさによる失敗、ああすれば良かったこうすれば良かったという反省と悔恨。そして、日々自らの煩悩によってそういった荷物が増えていっているようです。時々それではいけないと思ってもすぐ元に戻ってしまう情けなさ。これらは、私に限らず誰でも同じように捨てきれない、いや捨てきることが不可能なものではないかと思います。
法然上人は、どんな愚かな者でも、阿弥陀様は念仏を称えればお救いくださるとおしえてくださいました。私たちはその教えを信じ、自らの愚かさを日々省みてお念仏の生活を送るしか道はないのです。